フランスの俳優



ARNAUD BINARD   今年  四十七才
スポーツマンタイプ好青年の役者さんで、二千二年から五年間 テレビシリーズ、アリスヌブール 女判事殿で、相棒の刑事役で好演した。女判事アリスヌブールは、美人で、独身なんですが、結局、Arnaudちゃんは、アリスヌブールとは、結ばれなかった。やっぱ、判事と刑事じゃあ、むずかしいんだな、きっと。五年間、刑事役やって、次の人に交代、Arnaudちゃんは、降板。転勤したのでした。
先週、三月二十四日土曜日、久々にArnaudちゃんは、単発ドラマ、テレフィルムに、またも、刑事役で、しかし、主役二分の一で、でました。お兄ちゃんが憲兵で、彼が弟の刑事。ふたりで、昔死んだ彼らのお父さんの事件も絡んだ、殺人事件を解決。犯人の女炭鉱主
は、過去の犯行を隠すため、また新たな犯行におよんだのでした。この単発テレビ用フィルムも、すこし、暗い雰囲気でしたが、Arnaudちゃんの、しわとかみせず、若い時を彷彿させる、いや、若い時そのままで、よかった。

お次は、BENOIT MAGIMEL 1974年生まれの四十三才
邦題  石の微笑 もついてる、フィルムをテレビでみたのか、きっかけです。理知的な、端正なお姿に、ほんのちょっと、あぶないところもあるような、魅力とおもったんです。共演は、Laura Smet。すごい不思議な雰囲気の女優さんで、この人も好きになった。大歌手ジョニーアリディーと女優ナタリーバイユとの娘さん。
いやあ、テレビ映画って、ホントにいいですね、さいなら、さいなら。





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私って、外専かい?


w(゚o゚)ww(゚o゚)w
何で、ゲイの中の、マダムバタフライちゅうか、少数派の外専になっちまったのか?自分でも不思議。何度も言ってるのですが、小学校卒業作文集に、私は、将来、外交官か、海外特派員になりたいと夢を書いた。海外に住むという夢は、どういうわけか、達成された。ロンドン六年半を経て、パリに2009年四月に来たので、来月、なんと十年目にはいる。作文集に書いた如く、もともと、海外志向が強かったのと、それとアメリカのゲイ 及び ゲイ事情にあこがれたということは、ある。まだ、学生だった二十一才で、二丁目の外専バー リージェントに行き始めたのだから、なんでかな。三百年もの、鎖国の反動だな、きっと。強い影響を受けた本は、桐島洋子著の「淋しいアメリカ人」です。いずれにしても、私から、ホモセクシュアルの要素を取り除いたら、何にも残らない。ゼロ。抜け殻になると思う。自分が、外専という、意識は、パリに来るまで、六十になるまで、なかった。本当です。東京で、ゲイの友達からも、外専と言われたことは、ほとんど、なかった。が、振り返ると、海運会社のコンテナマネージャーだったアメリカ人から、シンガポールのゲイリー、デイビッド、最後、フランソワ、ぜーーんぶ 外人だらけ。
昨年、たまたま、ちょっと読んでみたら と教えてもらった ゲイ(ノンアダルト)ここが、外専のたまり場じゃないかと思う。要するに、このBLOGで、自分は、外専だと強く、初めて、自覚したのでした。皆さん、ありがとね。
それと、GAISENと打ち込むと、外線に変換するわたしのPC.外専を絶対、覚えようとしない。もう、何十回繰り返してるのに、。
それで、私は、自分が外専だと自覚するに至ったのかしらん。全く。
この前の「衝撃の写真」は、反響があった。また、脱がんとあかんかしらね。めんどくさ、まだ、寒いし。よって、夏の終わりに脱ごう、ヴァンセンヌのヌード村で脱ぎましょう。

J'ai 2 amours

https://www.youtube.com/watch?v=LXxAgurJfhc
昨夜、7 チャンネルで、結構 おもしろい コメデイーをみました。主演は、 FRANCOIS VINCENTELLIという 俳優さんで、ゲイには、人気のある人。もう 何年も前に、クララシェールという 全く同じような設定のシリーズで、 同じく バイセクシュアルの役を演じてる。ウィキによると、結婚してて子供さんもいるから、実生活では、ストレートみたい。
舞台は、ストラスブルグ。彼の役は、救急外科医。相方は、ブッチャー、ブーシェリー、お肉屋さん。もう一人、レズビアンのひとと、三人で住んでる。
設定、彼は、四十才。ひょんなことから 美人に恋をしてしまう。けど、肉屋のほうも、いい男いい体だし、別れない。美人に、赤ちゃんができてしまう。医者が美人に忙しい時、肉屋も気まぐれに、同居のレズと 一発やって、見事、赤ちゃんができてしまう。という、まったく、ありえない、おはなしなんですが、結構、裸をみせちゃう。肉屋さんは、l真夜中、まっ裸で冷蔵庫を開ける時、ぶらぶら みせちゃう。お医者さんの方は、十年前のクララシェールでは、胸毛すごかったんですが、今回は、大分、薄くなったのか、剃ったのか、それでも、見ごたえ充分。三話一挙に放映で、一話と二話みて、寝ました。
私自身、四十位の時、仲のいいゲイ三人で住んだ経験が、あるのを思い出しちゃった。男を連れ込むのは、良いけど、一緒に住むのは、ダメとかいう掟を私が、破って、Davidとおん出た。てな 騒動を私が引き起こして、後の二人に、ちょっと迷惑をかけた。おもいだしたくないけど、もう遠い昔のことじゃ。なつかしい、笑い話。その時の我々の職業は、私が、貨物代理店のサラリーマン、あと、レストラン経営に、音楽教師でした。
肉屋さんが、同居の、赤ちゃんが欲しいレズの女性と一発やる時、なかなか 頂点、沸点に到達できず、肉屋が、レズ女に やれ 耳を少し噛んで、とかいうのが、笑ってしまいました。私は、耳を齧られても、感じないけど、耳元で、ささやかれると、ん、まあ、ちょっと、興奮するか。
我々は、フランソワの甥っこに二人、男の子がいるから、それで、十分。今更、子育てなんて、滅相もない、が、ほんのちょっぴりだけ、いやいや、だーめ。

雪、寒い

三月二十日だというのに、今日も、雪を屋根に載せた車が、走っていて、昼の気温が三度で、お日様少し顔をだしたのに、さぶいんです、パリ。雪をかぶったオートバイは、サンスルピス広場。税務署の前。奥は、六区区役所。結婚届だすと、十日間くらいの公示があって、張り出されるので、連れ合いと前を通るたびに、同性カップルは、いないかチェック。大体、平均十組ぐらいが張り出されて、名前が、男同士だと、ふむふむ、ええじゃ。我々も、三年前、張り出されて、異議申し立てする人は、いなかったので、結婚の誓いできましただ。私の感触だと、30組に同性カップル一組くらいの割合かと思います。日本女性の名前もちらほらみかけた。この広場の、地下は、駐車場。先週、日曜日に、連れ合いの職場のスペインから派遣されてきてる女の子をお昼に呼びました。なんと、一区(東京でいう銀座か、有楽町)に住んでて、車持ってるんだと。ルノー プジョー?って聞いたら、ヒュンダイだそうで、少し、ほっとしました。が、彼女が自慢するに、駐車場をシテ島に借りてて、なんと、月 75ユーロ(約七千八百円)ですと。破格値。けど、彼女、大柄で、大分肥満児で、顔は、美人。安い駐車場は、見つけられるのに、旦那は、みつけられないのね、なんて言ったら、泣いちゃうか、反対に張り倒されちゃうので、もちろん、いいませんでしたが。正しくは、DSCN0193.jpgDSCN0194.jpgいえませんでしたが。このレストランは、リュクサンブール公園内のお店。テーブルの上に雪があるんですが、少しみえずらいかも。右は、公園入口にある、衛兵小屋ですが、衛兵なんて、みたことないです。
今日、コンシエルジュ(門番)が、小包みついてるから、取りに来てというから、仕方なく降りて行ったら、国際メール便で、没原稿が、送り返されてきてた。昨年は、三つ四つ、いろいろ、応募したのに、全滅。大体、応募原稿は、返却しない。が、講評が添付してあって、結構、読み込んでくれてたので、うれしくなりました。
講評のさわり///////作者は、若いころからの自由奔放な性遍歴を赤裸々にかいてる。 ///////////
別に、性交描写は、ありません。あっても、例えば、後ろの門は、開かず、とかそんなもん。男をとっかえひっかえしたわけでもないし。が、が、まあ、普通の、ストレイトの男と比べたら、普通じゃないわな。外専だから、日本人の男と続くわけないし、けど飲みに出て、良いのがいれば、ツイてっちゃうし、場末の酒場のママが、くっつけてくれるときもあるし、サウナ、駒沢公園、もう滅茶苦茶ですわ。私は、どちらかというと、待子、お声がかりを待つタイプ、、、、、でもないか。自分のことは、よくわかりません。もちろん、今の旦那様は、私から、押しまくったような記憶がなくもないじゃよん。やっぱ、自由奔放かにゃ、私。ゲイの男は、皆そうじゃ。それと、パリは、わたしにとって、全く、全然退屈しない。パリのマダムは、好きくないが、殿方は、いい。そりゃ、外専にとっては、外地は、パラダイスかもね。
かもね、じゃなくて、パラダイスそのもの。

アルザスワイン街道の町 コルマール

パリ東駅十七時五十五分発コルマール着二十時十二分着のTGVに乗って、パリ東駅の次が、ストラスブルグ、約三十分後、最終のコルマールに到着。ファーストクラスで、四人掛けに二人で座り、らくちん。今まで、いつも、レンタカーで、パリからストラスブルグとかコルマール、ルーファに来ていて、電車は、今回、初めてのような気がする。私の連れ合いのご両親の出身地なのであります。なぜパン屋の店先の写真を頭にもってきたかというと、客寄せの為です。写真の左下に、アルザス名物のクグロフというパンとお菓子の合いの子が写ってます。イタリアのパネトーネとすこし似ています。パネトーネのほうがもうすこし、もちもちっとしてますが。パリの有名お菓子や、ピエールエルメとか、アルザス出身の人が多いのと、レストランとカフェの中間の、ブラッスリーは、アルザスが発祥だそうです。(だと思う)アルザスワインとシュークルートが有名ですね。アルザス ロレーヌは、歴史上フランスとドイツが取り合いをしているので、この地方の人は、ドイツ語を話し、ドイツ語を分かる人がおおい。特に、ホテルの朝食で、ドイツ語を頻繁に耳にします。あと、墓場にいくと、勿論、ドイツ風の名前のオンパレードです。そういえば、今回、連れ合いが気が付いたのですが、二年前の八十何人犠牲になった、パリ バタクラン劇場のテロで亡くなった十九才の若者のお墓がありました。ここの出身だったのですね。DSCN0169.jpgDSCN0176.jpgDSCN0170.jpgDSCN0172.jpg四枚の写真は、コルマールです。小さな田舎町ですが、戦災をうけてないそうで、中世の面影が、比較的残ってます。が、ど田舎。ゲイバーなんてあるはずないっぺ。なので、ここは、食べることしか、ないのだ。DSCN0179.jpg
DSCN0167.jpgDSCN0168.jpg最初の上段は、ラパン(うさぎ)に人参のピュレ添え。奥に写っているのが、リードボー(牛胸腺肉)のパイずつみ パスタ添え)。ラパンは、昼の本日のおすすめで、海老のクスクスが前菜で、あと、チョコのタルトがついて、なんと、十一ユーロ。約千二百円位。これは、例外で安いのですが、ここは、三年前にもきたことがあって、おいしい、安い、雰囲気もいいお店。この店は、Julienといってルーファという村にあります。が、食べ物屋は、こことあともう一軒ぐらいしかないみたい。なので、一人で来る男性も多いし、職場でくるひと、お年寄り、村の人集合って感じがしないでもない。五十年くらい前は、映画館だったそうです。連れ合いが、彼のお爺さんと映画を見に来たんだと。
その下の二枚、二皿は、コルマールのCote Courという店の、左が、ポークソテーで、右が、子牛のロースト?かな。コロッケみたいにみえるのは、リゾットを揚げたもの。私のポークソテーは、おいしかった。かなり大きな店で、七時でもう団体が二組もはいってて、サービスの人は、あまり、愛想よくなかった。コルマールには、ミシュラン星付きが二店あるのですが、両方とも、冬季休業と改装で、閉まってた。なので、ここと、あと、Le Theatreという店が、金曜日土曜日の夜、かなり忙しかったみたい。というのも、日曜の昼に、Le Theatreにいったら、そこの、ヘッドウエイターが、お客と長話してて、金曜の夜と土曜夜は、シッチャカめっちゃかだといってたそうです。Le Theatrで、私は、チキンとフョアグラのサラダ、連れ合いは、バーガー。おいしかったのと、アルザスワインの珍しく、赤、ピノノワール、2015が、軽いわりに、おいしかった。で、コルマールは、五つ星ホテル二つ、営業してなかった。ので、コロンビエというホテルのスイート一泊二百、朝食込み。DSCN0166.jpg
何と三泊もしてしましました。勿論、最初から三泊の予定でしたが。快適でした。朝食もおいしいし。我々、ホテルでいつもダブルベッドですが、別になんともありません。朝食で、別に視線を感ずることないし。反対に、私は、他のお客さんをチェックするのが趣味です。日本だと、気を使って、必ず、ツインベッドルームにしますがね。後、古本市がおもしろかった。が、田舎。

ようやくセーヌの水位下がり、退院後とりとめなく

両側の白く見える遊歩道が見えました。ニ、三日前まで、ここが水没してたのです。雪が少しふったので、白く見えるのは、雪でございます。リュクサンブール公園の梅は、咲いてるのに、なんと寒いことか。三月になったのに。
さて、ガンマービーム照射して火曜日退院後、数日たち、頭のしびれもほぼなくなりました。左の聴力は、もう回復しないけど、あちらの方も元気です。照射前と、さして状況変わらないので、さしたる実感なし。
正味あと十年と思われる人生の計画は、前にも述べた如く、まず、体を作る。腕と胸に筋肉をつけて、お尻をアップして、お腹にシックスパックでも、八つでも、つくる。ついでに、フランソワのあのブリオーシュもなくす。もうすでに、オクラとか、蒟蒻とか、をKマートとかで、買い込んで、食べてるので、幸福物質のセロトニン、ドーパミンは、なんとか、大腸から脳へ送り込んでいると思います。このところ、というか、もともと、気落ちするとかは、まったくない。
両親は、とっくに亡くなって、いないので、日本に帰りたいという、望郷の念、なし。できれば、フランソワとロサンゼルスに帰りたい。日本へは毎年、一、二回御里帰りしてるし。
悟りを開く、、、、、開けるものなら、悟りを開く、、、、、邪念をなくして、人の幸福を願う。
と、中村天風師は、言っておられるので、私も少し、見習おうと思う。
ジュンク堂で、中村天風の本を三冊取り寄せて、いま、読んでるところです。

放射線科入院

日曜日の午後二時に、左岸東の大学病院連合体の放射線科に二日間入院して、放射線治療を受けました。左耳奥の良性腫瘍を放射線照射して、その成長を止める為。現在、二㎝弱の大きさがあり、左耳の聴力が、ゼロ。二年前ぐらいから、左耳がくぐもって、聞こえが悪くなり、耳鼻科の先生が、中耳炎でなく、シュワノムという良性腫瘍みたいだから、IRM(超音波磁気共鳴断層撮影装置)をやるよういわれて、それで、発見。二回目の撮影で、シュワノムが若干大きくなったので、手術を勧められ、ビットショーモン公園前の、ロスチャイルド記念病院の耳鼻科腫瘍の専門医の紹介で、このどでかい病院連合体の脳神経放射線科専門病棟に、やっとこさ、入院治療(ガンマ線ビーム照射治療)を受けるとこに、辿り着きました。約、一年がかり。まどろっこしいのですが、この腫瘍は、大きくなったり、その反対に、放っておいて、小さくなることもあるので、一概に、早急な処置は、禁物みたいです。日本では、札幌に、この腫瘍のいい先生がいて、ネットで、少し情報をしいれたのです。フランスには、この放射線治療の超高額な機械は、四台しかなく、パリには、ここしかない。因みに、日本には、ガンマナイフと呼ばれるこの機械が、何と46台もあるそうです。フランスの人口、六千万だから、たった4台とは、何か少ない感じです。このシュワノムの原因は、遺伝子の変異みたいなことを書いてありましたが、よくわからん。私自身は、サウナで頭が熱くなるからか、若しくは、ヴァンセンヌの森で、夏、焼いて、汗だくだくになるから、そのせいかなと思いますが、私だけに発生するのは、まあ、不自然だから、ようわからん。部屋のインターネット電磁波とか、携帯電磁波も、原因かもね。
さて、連れ合いに付き添ってもらって、入院受付にコンボカシオン(入院予約証明書)を出し、三十分くらい待ち、今日入院する五人そろって、病室へ案内され、部屋にあるロッカーのカギを渡され、終了。一人部屋希望だったのですが、空いてなく、2人部屋。ロッカーに金庫あったあのですが、こわれてて、ロック作動せず。ま、自分で、三桁合わせロックを持ってきたから、いいや。社会保障番号とかのもろもろの書類は、事前にインターネットで登録済みです。
明日のスケジュールは、朝八時に頭を固定する装置を装着し、IRMで再度撮影し、腫瘍の位置を固定装置から確認して、その情報をもとに放射線を浴びせる、放射線装置にはいるそうです。
お夕食:味なしポタージュスープ、ツナのクネル(はんぺん)トマト仕立て、人参の付け合わせ、小フランスパン、ヨーグルト、洋ナシ一個。味がない。が、病院食は、こんなもんでしょう。左手には、認識番号のプラスティック腕輪、右手は、点滴用の針を刺したまま。
配膳係のお姉さんが、シャワーを浴びるように、私に言うんだけど、看護婦さんが、特別殺菌シャンプーの使い方を教えてくれるはずなんだけど、まだ来ないよー。勝手にやるっていっても、、、、 隣のおじさんは、三回目の入院とかで、さっさとシャワー浴びてた。何か、この配膳の姉ちゃんというか、おばさんとは、合わんな。今日は、フランソワが付いてきてくれて、喫茶コーナーでお茶して、四時半には、帰りました。なので、ナースステイションに聞きに行ったら、そのシャンプーで、頭から全身シャワーするんだと。なんだ、特段、特別なことは、ないんだー。このシャンプーは、ヨード液入りで、色味、扁桃腺が腫れた時、喉に塗るヨードチンキそのもの。全身、くまなく殺菌するということですね。私は、自分自身入院するのは、高校生の時、雨降る中、自転車で帰る途中、車とぶつかり、溝に落っこちて、救急車で運ばれて、十日間入院して以来です。

ここで、中村天風師の格言:::私は力だ。力の結晶だ。何物にも打ち勝つ力の結晶だ。だから、何物にも負けないのだ。病にも運命にも、否あらゆるものすべてに打ち勝つ力だ。 そうだ!!強い強い力の結晶だ。
:::心には、自分の好きな明日の写真を入れておこう。

なので、六か月後には、見事な腕と胸、及びシックスパックのお腹になるのだ。そして、十月以降、フランソワを改造して、健康体にもっていく。甥の子、五歳が、フランソワのおなかをつついて、風船だ、と言った。まずいぜ、これは。

翌月曜日早朝五時に、夜勤の看護婦さんが来て、例の全身消毒シャワーを二回やるように言われ、病院支給の紙パジャマを着る。
大きいほう、出ず。少し、横になる。八時に迎えが着て、寝台車で、カスクと呼ぶフレームを頭に装着する処置室に向かう。頭四か所に麻酔を打たれ、気分が悪くなり、寝台に仰向けになり、両足を高く上げる。歯医者さんの歯の治療の麻酔のようなものと聞かされていたのに、大分違う。五分後、吐き気もおさまり、ドクターと看護師が二人で、カスクを私の頭に装着。頭の骨に固定する。もう、痛くは、ありません。もう一人、介護人が、私の手を握ってくれたので、私は、救われた。麻酔が効いてるとはいえ、金具をねじで、ぎりぎりと頭に締めるので、恐怖感を和らげるのには、人の手のぬくもり以外、ない。私の場合、介護人が、男性でよかった。これが、今回の治療の山場でした。まあ、介護人がもうすこし、いい男だったら、申し分なかったんだけど、、、ぜいたくは、いえまへん。

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村岡 秀俊

Author:村岡 秀俊
のどが少し痛いけど、そんなのふっとばして、生きてゆこう

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