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業務放送、ドアモードを解除してください

えーと、私の父は、空港勤務の公務員でした。最初は、航空管制官。で、私は、最初は、航空貨物代理店で、空もやったし、挙句の果て、でもないけど、海上、要するにコンテナもいじりました。で、大分前のアりアンセフランセで一緒だったシャーの彼氏は、フランスの現役航空管制官、フランソワの甥の嫁はんは、AFのグランドホステス。一体、何を私は、いいたいのでしょうか?このところ、やれ、機内食だの、ジェットラグ、吉野家のミニ牛丼の機内食をたべそこねただの、機内食にキットカットが、、と書きつずってきて、、で、今日のタイトル、わかる方、手をあげてくださいませ。わかったら、すごい。
そう、実は、私は、スチュワーデスになりたかったんです。スチュワードでもいいんだけど、やはり、スチュワーデスの方が、断然、いい。なぜかというと、スチュワーデスは、キャプテンと結婚できる可能性が、滅茶確率高い。特に、JALは、成田周辺に住むキャプテンの奥様は、ほとんど、フライトアテンダント出身ではないか?。外国航空会社のフライトアテンダントも高給稼ぐ国際ビジネスマンを捕まえた方一杯いるはずじゃ。然るに、スチュワードは、キャプテンと結婚できるわけなかろうし、年取って、スチュワードは、つぶしがきかん。エイズ貰って、最後骨皮筋衛門になっちまうのが、落ちじゃ。なので、フライトアテンダントといわなかったのです。私は、今更、もう、遅いといわれれば、それまでです。年齢制限を四十才もオーバーしてるけど、、、 が、私、Quorification、応募資格は、あるんじゃな。三十年前、前にも書いたが、ロサンジェルスのスチュワーデス養成専門学校、アカデミーパシッフィック ビジネス&トラベルカレッジ、ちゃんと、卒業してますの。お月謝高く、親に百万送金までしてもらって。元をとらんとあかん。
それで、スチュワーデスに、晴れて、願いがかなったら、シンガポール航空の制服とあのサンダルだけは、着たくない。ここまで書いて、すまん、自分で笑ってしもた。シンガポール航空のあのお洋服を笑ったんではなく、自分自身のあまりの厚かましさにたいして。が、SQのは、ありゃ、制服とは、言えんで。冬は、寒そうだし。大昔の、森英恵のJALの制服も、いらん。なんか、好きくない。TURKISH AIRLINEのスカーフは、とてもいい。エアフランスあたりにしておきましょう。しかし、エアフランス、フランスのお姉さん、おばはんは、ものすごく、おっそろしく、強いから、私は、いじめられるかもしれないが、そこは、美貌でカバーするしかないな。
いまは、もうないけど、JALのお着物サービスは、トイレで、さっと着替えて、やってもいい。やりますわ。AFのAB380のファーストクラスには、トイレの隣に、更衣室があり、そこで、パジャマに着替えるんです。そこを使って、お着物に着替えればいいじゃん。帯は、占めるんじゃなく、スナップだし、簡単、簡単。けれど、まあ、今更、スッチーにならなくても、フランソワをゲットしたし、私は、もう定年だし。今、髭を生やしたので、社内規定で、髭はだめだろう、多分。スチュワードは、髭の人、いつか、みたことあるような、ないような。鬘は、だめじゃろな。英語の機内放送は、大丈夫です。一度、パリからマドリッドにいくとき、小さな機材、B737位かで、目の前で、フライトアテンダントのお姉さんが、スペイン語だかの機内放送するに、マニュアルをとりだして、お客さんの前で、それを棒読みしたんには、びっくりしました。今まで、そういう舞台裏は、みたことなかった。
ま、要するに、私は、国際空港の出発ロビーを、制服着て、機長の後から、小振りの黒のスーツケース引っ張って、歩きたいんやな。デュカプリォの映画で、偽機長になりすますのがあったけど、女装スチュワーデスが、シャルルドゴール空港ターミナル2Eを歩いたら皆目を丸くするだろうな。アルモドバル監督のフィルムに三人のゲイスチュワードがてんやわんやの騒動をひきおこすのが、ありますが、まあ、こんなところですね。
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機内エンターテインメント

以前は、11時間か12時間の飛行時間が、もう、長くて、退屈で、死にそうに感じてました。頻繁に到着までの残り時間をのぞいてました。ロンドンから成田へ向かうときは、モスクワ上空ぐらいまでは、何とか、間が持つ。お食事もあるし。大体、食事が終わってすこしたつと天井灯消されて、窓閉められて、ねるしかないのですけど。八年以上前、BA、ロンドンー成田線にもかかわらず、日本語吹替が、ほとんどなかった。AF、パリー羽田線は、見たいフイルムに吹替なく、みたくないのには、日本語ある。とはいっても、日本語の吹替は、セリフが、直訳調で、全然、耳に、すっとはいってこないので、結局、原語、英語か、フランス語で、見たほうが、かえって、いい。となると、どうしても視覚で見て面白そうなものになってしまうんだ、私の場合。言葉、セリフの遊び物は、わかんない。そういうのは、2、3分で、すぐやめる。今まで見たものの中で、記憶にしっかり残っているのは、ダニエル クレイグ主演の、注射を打つと、超人になって、香港とマニラで大暴れして、その注射液の製造工場を遂に見つけて、なんたらかんたらするやつ。最後は、ダニークローバー扮するFBIの親玉に仕返しする奴。違ったっけ?これは、AFの機内でみた。勿論、前方スクリーンじゃなく、目の前の専用スクリーンです。BAでは、英国郊外で父親の葬式に、父親最後の愛人だったと称して、小人の男が、葬式に乗り込んでくるドタバタ喜劇。変わって、音楽放送クラッシックで、CONCERTO ITALIANO演奏の BACH の BRANDENBURG CONCERTOS。これを、ロンドン 成田行きかえり ほとんどずうっと聞いてた。しかも、東京で、このCD (CD二枚とDVD付)五千円もしたのを見つけて、買いました。このCDは、未だに車で遠出するときに、持っていくCDリストにはいってる。後、機内で見るのは、アメリカのTVシリーズ、マルコムXは、今もパリのテレビで再々再放送やってます。機内でよく見るTHE BIG BANG THEORYも 今パリの12チャンネルで再再放送中。アメリカの映画テレビの影響は、すごい。そういえば、ユーチューブで、台湾の歌手がド演歌、クールファイブ前川清の長崎は今日も雨だったとか、細川たかしの私馬鹿よねとかをこぶしきかせて、うなってた。こういうのを、機内でみれたら、時間なんて、あっという間なのにね。JALとかANAで、ド演歌の映像って、みれるんかしら?国内線で、イヤホンでは、昔から、きけるけど、あと、落語とかも。
昨年夏、パリから、サンフランシスコにあそびにいったときも、AF エアフランスだったので、フランス語英語スペイン語が主体。ま、しかたないけど。あとは、スチュワードさんにタイプの人がいれば、時間つぶせる。が、めったにいないんだ、これが。地球上、スチュワードにゲイは、わんさか多いはずなのに。私の乗るフライトは、お姉さん(本物の)おばさんばっかしじゃ。アリアンセフランセでのクラスメートのシャーがいうには、空港で、引っ掛ける、引っかかるチャンス多いというんだけど。コリンファース主演で、ブエノスアイレス舞台の映画でそういう話をみた。ブエノスアイレス国際空港で、自分の美貌を餌にビジネスマンを引っ掛けて、パスポートを奪うために、そのビジネスマンを殺しちゃう。パスポートの写真を自分の写真と張り替える際、手が震えて、うまく剥がせないか、うまく切れない。というシーンを何でか、おぼえてる。殺人は、結局、ばれるし、私は、殺されるのも嫌なので、国際空港でのアフェアーは、ごめんじゃ。さて、年末は、ソウルに遊びに行くじゃ。 チケットは、大韓航空、コリアンエアで、大分前に買った。
今のインチョンでなく、昔の金浦国際空港は、ターミナルに入った途端、なんかキムチと石焼ビビンバの香りがしたもんじゃが。伝統サウナ、汗蒸幕とチムジルバン、楽しみでごわす。

Beaujolais nouveau

先週金曜日の夕方、近所のゲイカフェ(街角のカフェなんですが、おじさんカップルがやっていてるんですが、客は、隣近所の人と、リュクサンブール公園に行く人、後ツーリストで、ゲイの客は、今は、私と、後、ちょろちょろっと。煙草も売ってて、最近、また、煙草の値段が、上がったのにもかかわらず、この辺で、売ってるところがないので、煙草よく売れてるみたい。私が、一人で、ゲイカフェといってるだけですが。)で、オーナーの、アンドレおじさんが、今年のBeaujolais nouveau、飲んだ?と私にきくので、即、飲みました。カウンター立ち飲みで、一杯3.5ユーロ。約、370円ですかね。座ると、3.7ユーロ。隣の、古本屋の二コラさん、とか、近所の常連さんは、カフェでも、ビールでも皆、私も、立ち飲み。普段、ボルドー、コートデュローヌとか、一杯、カウンターで、2.5ユーロ。なので、Beaujolaisは、ちと、高い。で、年配のちょっと恰幅のよさげな、多分近所のおじさんが、アンドレとピエールと、長々、Beaujolaisについて、話してたんですが、 わたしゃ、さっぱり、わがらん。六時過ぎると、お客あまり来ないので、アンドレとピエ-ルは、お客とお話タイムになって、七時過ぎにお店を閉める。家で、夜八時のニュースで、十年前と比べて、Beaujolaisの生産が、なんと、62%も減ったそう。が、Beaujolaisのねだんは、少しずつ、上がってきてるそうです。地球温暖化の影響で、ブドウの糖度があがり、それにつれて、ワインの糖度もあがりということだそう。カフェで 一本19.5ユーロ。スーパーで買えば、12ユーロ位か。スーパーで、もっと安いのは、5、6ユーロです。
ふーん、この話を聞けば、前は、Beaujolais、もっと水っぽかったと、思いました。が、この話を聞いてなければ、わたしゃ、飲んで、おいしかったで、お終い。私の舌は、お値段によって、七変化するのじゃ。
三十五年くらい前、私が、会社に入ってまだニ、三年の新人の頃、その当時も日本で、Beaujolais nouveauwoをお祝いして、解禁日のフランス時間だかに合わせて、相当なケースがフランスから成田空港へ着いてました。航空輸送の手続きを成田の支店がやっていて、航空輸送しましたっていう小さなラベルと、新酒だっていうラベルを一瓶毎に貼る作業の応援に駆り出されて、泊りがけで、成田空港に行ったことがあった。しかし、古くからの習慣は、日本でも、フランスでも、だんだんなくなってくるんですかね。

ジェットラグ(時差ボケ)と機内食編

一昨年、伯母が、日吉の駅前でバスに乗ろうとして、心臓発作を起こし、亡くなってしまいました。急遽、翌日金曜日のJAL便CDG-HNDの夜発が、十二万円で、AF、全日空より断然安いので、それをつかまえて、土曜日夕方羽田着。日曜日のお通夜、月曜日のお葬式と初七日すませ、ほっとしました。これで、父方の伯父伯母は、皆いなくなり、親の代の存命は、母方の叔母一人になりました。この叔母には、今年五月、実に話をするには、何と、四十年ぶりに、宮崎で、フランソワと一緒に会いまして、叔母の方は、四十年前とあまり変わってなかった。美容師を長年やっており、髪が黒いせいかもしれませんが。しかし、叔母が言うには、私は、大分変ってしまったとのこと。ナンセ、四十年前は、私は、ニ十歳。美貌が失せたのか、その辺をしかと確認したかったのですが、従妹(叔母の娘二人)もいるので、聞けなかった。従妹とは、彼女たちがまだ小さい時にしかあっておらず、面影は、あるものの、四十半ばと四十のおばさんなので、お世辞も私の口からでてこない。上の方の従妹がうちに来た時、わたしが、中三、彼女が幼稚園?私は、そんなに変わってないはずじゃ。鏡は、毎日みて、美しさを確認しちょるのに。どうしよう、どうしようもないか。
さてさて、伯母のお葬式も終わり、火曜日の夜は、その月、十一月下旬に、パリに遊びに来るヒーコとその彼氏、白系ロシア人の顔だという彼氏と三人で、品川の居酒屋で、お刺身とワイン、三人で、一本+もう一本?、、、明日は、もう帰るだけという安心感も手伝って、少し、酔っ払い。次に大井町のヒロミちゃんとこ(酒場)で、ヒーコのボトルで酎ハイと誰かの誕生祝のブーブクリコとか、、、、、、タクシーに乗った、、、、、、タクシー代千三百円ぐらいのメーターを千五百円わたして、おつりは、チップ、、、、、、、で、後、記憶ない。
翌朝、水曜日、出発は、十時五十分で、搭乗開始、十時二十五分。十時二十分に、なんかムカムカする。吐き気がしてくるけど、トイレにいくほどでもない。(。>ω<。)  これで、十一時間、地獄じゃな、決定。あーーーあ、昨日あんなに飲まにゃきゃよかった。といっても、そんなに、飲んでにゃあで。これで、満席だったら、死ぬなああ。が、結構、ガラガラでした。JALのパリ線は、今回初めてなのに、まず、昼食、パス。何も食べないに限る。もし、お食事たべて、それが、起爆剤になったら、と思い、がまん。緑茶のみ。次の軽食は、何と、吉牛のミニ。機内中、牛丼の香り充満。これって、外人さんには、耐えられないかもなあ、なんて思いつつ、パス。因みに、うちのフランソワは、おでんのにおいを嫌う。あああーーーあ、私の牛丼ちゃん、いつも時たま、食べたいなあと思うのが、吉牛、崎陽軒のシウマイ弁当、品川駅の常磐軒の立ち食いソバ、なのであります。あと、立ち食いソバやのカレーライス。ラーメンは、パリに結構あって、一風堂がもう二店舗も。けど、立ち食いソバやは、ない。高級蕎麦屋は、円という店が、サンジェルマンデユプレにある。立ち飲み屋は、近所のゲイカフェでカウンターで飲めば、ワイン一杯250円です。座れば、倍とられる。
そうそう、搭乗したら、離陸寸前に後ろのばばあが、席を倒さないでくださいと難癖つけてきた。いいえ、たおしてませんよ、って言ったけど、ばばあ、納得せず、平行飛行になって、フライトアテンダントを呼びつけて、また文句。お姉さんが、空いてるシートを倒して見せても、そのばばあなっとくせず、三席空いてるとこに移っていった。ははーーん、これが目当てだったのかしら。エコノミーは、倒しても、倒さなくても、殆ど、かわりゃせん。牛丼ミニ食べて、そのばばあに全部、ぶちまけてやりゃあよかった。なんて、ごめんなさい。
フライトアテンダントのお姉さまは、お客様、おなかすきませんか?とか、一応、聞いてきたので、
「いやああ、昨日の晩、のみすぎちゃって」と お答えしときました。
まあ、小間物屋することもなく、無事帰ってきました。が、、、、いつも、大体、一か月弱続く、だるさ、頭の上に中くらいの漬物石を乗せたみたいな、時差ボケが、、、、、、、、、殆ど、、、、、ない。ない。ない。夜も、普通に寝れる。これには、驚き桃の木山椒の木。だって、この十数年、里帰りするたび、時差ボケ解消に、三週間は、かかった。大発見でした。
機内で、何も食べないのも、つまらないので、次回は、半分だけ食べよう。

機内食のお時間ですよ

日本を出て、十五年になり、毎年 一回、冠婚葬祭等で、多い時は、二回 お里帰りするので、日本に帰りたくて、夜、泣いたことは、残念ながら、ない、ありません。もう冠婚はなく、葬祭だけですが。少し、最近、浦島太郎になってはきてますが。今年、五月里帰りした時は、梅ちゃんとこ(酒場)で、なぜか泣いてしまって、梅ちゃんから「アンタ、泣いてんのお?」って、大声で、聞かれたけどさ。ということは、里帰りして、泣くということか。
ロンドンにいた時分は、私の旦那のマイレージの関係で、BAで、ヒースロー/成田を往復してました。私の父が、階段ふみはずして、大腿骨を折った時、やれ、便座にすわったら、関節がはずれた、等で電話がはいり、、三か月で都合四回、お里帰った。
パリに来て、もう八年たって、シャルルドゴール/羽田 エアフランスが、最近、主です。なので、BAとAFは、比較できる。BAで往復してた時は、BAとアエロフロート、バージン以外、日系を全然知らなかったので、BAの機内食がまずいとは、思わなかった。アエロフロートモスクワ経由で、行きかえり都合四回、同じスモークサーモンのお食事。が、BAのエコノミーで、トレイの上に、キットカットが、ポンと出てきたときは、さすがに、ナンじゃこれ?と思いましたが、食べました。おいしかった。BAのビジネスクラスのお食事も、、、、たいしたことないなあ。勿論、BAのヒースロー空港を拠点とした、フライト網とか、スケジュールは、すばらしい。といっても、ナシォナルフラッグ、大手キャリアは、どこも似たような路線網ですが過去にこ植民地を一杯もってた国のキャリアは、路線網も、いいようです。さて、BAのエコノミークラスのお食事は、スーパーの棚からヨーグルト、マフィン、出来合いパックをとって、チンして、客にだすような感じがする。ヒースロー空港にゃ、フライトキッチンセンターが、ないような感じすらする。
ロンドン チェルシーに六年半住んだども、自分で、買い物、料理するせいか、まずいとおもったことは、ないけど。買い物は、ウエイトローズというプリンスチャールズ御用達のスーパーマーケットですが、リンゴ以外のおいしい果物は、やはり、フランスとスペインからの輸入物だった。牛肉と子羊は、イギリス産おいしいし、魚はサーモン、コッド、ソール、パリとかわらない。ハロッズフードホールのオイスターバー、ひだが、透き通るブルーグリーンのオイスター、柔らかくジューシーなローストビーフ、、、フォートナムメーソンのスモークサーモンとスクランブルエッグ、、、最近、パリのモノプリのサンドイッチがよくなってきたけど、ウエイトローズのサンドイッチの品ぞろえ豊富さには、かなわない。が、イギリスのサンドイッチは、味が薄いけど。我々が、ロンドンにいた時分は、パティスリ/ケーキ屋とブーランジェリ/パン屋がなかった。ケーキ屋はフランス系のメゾンブランシュのみ、クッキーは、ミセスフィールドとかあるのに、ケーキ屋は、オールドコンプトンに甘い重たいケーキが、カフェに並んでたくらいで、パン屋は、やっとPAULがサウスケンジントンに一号店をオープンしたぐらいだった。バゲットもビクトリアスポンジケーキとキャロットケーキもみんな、スーパーで買ってた。
何故、BAの機内食があまりおいしくないのが、わからなくなったところで、つぎに、ユーロスター。
ユーロスターのビジネスクラスのお食事は、はっきりしていて、ロンドン発は、まずい。パリ、北駅発は、うまい、デリシュー。
ユーロトンネル、フレキシプラスという滅茶苦茶高いチケットだと、行きかえり、専用小屋で、カレーだと、バゲットサンドイッチ、フォークストンだと、サンドイッチと飲み物がもらえる。どちらもたいして、変わらない。
エアフランス、やはり、おいしい。全日空、日航だと、フライトアテンダントの方達のサービス、スマイルは、平均してると思うのですが、AFのクルーの方々のサービスは、フライトによって、少しばらつきがあるように思う。行きは、アレー珍しくどの人も感じいいなあ、と思い、羽田からの帰り、なんか、みんな、とんがってるなあ、と。わたしの思い過ごし?

小噺

ジャコモ カサノバ、作家、スパイ、ギャンブラー、ウーマナイザー(女たらし)、外交官。。は、生涯、定職を持たず、ヨーロッパ中を優雅に放浪しまくって、一生、つきまとったのは、性病と異性装だったそうです。異性装とは、なんじゃ?女装なら女装といえばいいのに。
ロサンジェルスで、プライベートのクリスマスパーティーを覗きに早めに行ったら、まだ誰も来てなくて、が一人、ブラックのお兄さんが、ディズニーの白雪姫の恰好で、足元は、ジョギングシューズでした。少し、混んできて、その兄ちゃんの友達が、遠くから、叫ぶには、
「よー、スノーブラック」。。。ガックン。。。。そうか、こういうひねりかあ、単純明快な、、、、
パリにゃ、旧植民地アルジェリア系二世がいっぱいいる。うちのコンシエルジュ、門番も、奴が三つの時、フランスに来た。父ちゃんは、建設現場、母ちゃんは、掃除婦で夜中まで働いて、子供四人は、まあ、なんとか。女の子二人は、といっても、もうおばさんは、うまくいった。男ふたりは、いまだ、酒飲み。門番とは、私、仲良く、一回、奴が、近所のカフェに、ノエルなので、女装するっちゅう。トイレから、頭にバンダナまいてきた。要するに、アフリカで、おばさん達が、頭に、布を巻く習慣。自分の部屋に飾ってある彼のお母ちゃんの写真も、おかあちゃんは、頭に、まいて、前を蝶々結びにしてる。笑っちゃったけど、本人も笑い転げてるけど、自分のかあちゃんをだしにするのは、ちょっときつい冗談でっせ。
テレビでみる、芸人にも、マグレブ二世三世がちらほらいる。昨夜、また、みたのは、漫才。男女カップルで、女性は、アルジェリア系の、美人。男の方が、彼女のお父さんに、携帯で、持参金を聞く。
「サラマレコム、ナンたらかんたら アラビア語。。。。。。」で、お父ちゃんは、ゼロ一杯の金額三万といったらしい。三万だと、日本円で、三百万強。よって、彼女は、胸を張って、わたしゃ、三百万の値打ちのある女なのよー。アルジェリアで、三百万といったら、大金です。物価が、ぜんぜん違う。うちのコンシエルジュ、のおかあちゃんは、アルジェリアで三階建てのお家に住んでるそうだ。三百万は、多分パリ 東京での 三千万円位の感覚。
で、舞台で、彼女のお父ちゃんと話した男が、ぼそっと、「ディナール」とつぶやく。ディナールは、アルジェリアの通貨で、三万デイナールは、五十ユーロ、約五千円。「えーーーー、私は、サンカーントユーロじゃの?」彼女は、怒っちゃう。が、観客は、笑いの渦。
この話は、わかりやすいので、私にもわかった。
最近、よく見るコメデイアンのワンパターンは、観客の一人か二人を舞台に上げて、手品の手伝いをしてもらう。その舞台に上げた人が、自分の前、カメラをふさぐと、やおら、彼は、いきりたって、「わしゃーVIP 絶対絶対私の前を横切ってはいかん」その横切った人も観客も苦笑い。もちろん、それは、お芝居です。                             そんで、小噺 おしまい

ロサンゼルス 2

その当時、1986年、冬、ロサンゼルスの冬の平均気温 大体15℃ 午前中曇って、午後晴れる毎日。因みに、夏の平均気温は、だいたい25℃くらいで、春夏秋は、毎日 晴れ、毎日、五月晴れ。二回位、家からサンタモニカ迄、行くのに、途中、ビバリーウイルシャー辺りの、高級住宅地を抜けていくのですが、緑の中に個性的なお家が並んでて、こんなところに住めたらなあって、思ってました。バイト先のバッグ売り場主任のおばさんが、ここに住んでた。彼女の愛車は、ムスタング。おばさんが、乗り回す、ぶっ飛ばす、車じゃないぜ。彼女の旦那は、ハイテク関係のなんかで、優雅な奥様なんだけど、ひまなので、働いてるとかでした。バッグ売り場には、いつも売り上げナンバーワンの韓国人のおばさんがいるんだけど、二人、そりがあわず、マダムは、いつも韓国人のおばさんに、きつく何か言ってた。韓国のおばさんは、いつもじっと我慢の子。いやいや、こんなこと、書くつもりじゃなかった。こんなところにも、韓国の方の、日本人に対する、恨みがあっただよね。恨、歩合は、一杯もらえても、恨みは消えない、きゃー、こわい。が、私は、勿論、双方のおばはんから、かわいがってもらった。お昼に誘われたり、辞める時は、その韓国人のおばさんともうひとりから、ダンヒルのポロシャツを貰った。一流品は、洗濯しても、風合いが、消えなく、つい何年か前まで、愛用してました。その韓国のおばさんのことなぞ、とっくにわすれとりゃあで。このおばさんは、教会活動に熱心だった。一方の売り場主任のおばさんからは、貴重なお言葉、
「アメリカを見たんだから、ついでにヨーロッパもみていきなさいよ。」 って言ってくれたのが、ずうっと引っかかっていました。まさか、十五年後に、ロンドンとパリに住むことになろうとは、。夢は、常に思っていれば、叶うものだぜ。なーんちゃって。
その頃、統一教会の影が、ちらほらしてた。外地で、独りぼっちの子を熱心に勧誘してるみたいでした。わたしゃ、学校とバイト、週末は、酒場めぐりに忙しくて、そんな、滅相もない。そうそう、バイトに行く途中、ウエラコートを横切る時、声かけられたんじゃ。
高校生の時、私は、ばあ様の所に、居候して、学校へ行ってました。私のばあ様は、仏教系の南無妙法蓮華経の信者で、ばあ様払いで、研修に行かされたりしたけど、私の体質は、宗教を受け付けないみたい。神様でなく、自分にすがる、自分を信じるじゃ。
当初は、ウエスタンとハリウッドの交差点に アジアンゲイディスコがあったので、そこに行ってました。が、すぐ、なくなった。消えた。二人、知り合った。ウエスタンシャツのデザイナーと、二十歳の学生。シャツデザイナーのほうは、日蓮宗に凝ってて、毎日二時間のお経に、二回ぐらい付き合わされて、潔癖家で、ウエストウッドのいい所に住んでたんですけど、バイバイ。学生のほうは、小柄で、端正な顔で、出会った次の朝、やはり、ウエストウッドのカフェで一緒に朝食して、彼のアパートに行ったんだけど、ルームメートが気をきかせて外に出て行ってくれたんだけど、なんか、母一人子一人の子を食べちゃう気が萎えて、退散。アジアの子を好きな人が集まるから、声もかかった。他のところじゃあ、滅多に声は、かからん。わては、どちらかというまでもなく、待子でしたのね。けど、待子さんは、まあ、よく、いろんなところを覗きました。ミックスとあったから、白人黒人混ぜこぜかと思ったら、どうもそうじゃないみたい。パティオをのぞいたら、十字架の木の大きいのが、斜めにおいてあり、ふむ、オブジェかいな。そしたら、革のカウボーイパンツをはいた若い男が、勿論男、その十字架にうつぶせになった。あああれれれれ、、、お尻が剥き出し。そして、三メートルくらい、離れた所から、べつのが、むちをそのおしりめがけて、ふるいはじめた。みんな、遠巻きに飲み物片手に、ご見物。おしりにふれるか、ふれないかで、お尻が、だんだんピンク色に変わってくる。ななななんか、興奮してくるうう。が、それ以上は、なし。それ以上は、こんなパティオじゃあ、むりじゃ、すぐ、ポリスが、飛んできそうだし、女性もいるし。ウエストウッドあたりは、白人というか、映画関係者?いい男、ヤッピー風三十代中心の、しいて言えば。シルバーレイクのDETOUR=行き止まりという店は、マッチョ、ガッチリ、工事現場男。今、2017年スパルタカスみたけど、DETOURは、ない。あるわけないか、三十年前じゃけん。おぼえてるのは、そんなところです。エイズの情報は、私の耳と目には、入ってこない。とはいっても、エイズでみんな、ばたばた、倒れているわけで、いやが応でも、こりゃ、ちょっとまずいんでないかい、と感じて、学校卒業して、二か月後、ロサンゼルスを去ることにしたのでした。あのまま、ロスでちゃんとした仕事見つけてたら、どうなってたか。こんな、やりたい放題、毎日が、五月晴れ、リンダにいわせると、一年中パッパラパーで、めりはりがない、の時間を過ごしちゃうと、東京での会社勤めが、続かなくなっちまうんですね。二年位は、なんとか持つ。けど、しまいにゃあ、ぷっつんしちゃうパターンができてしまった。いけないいけない。そこへフランソワが、突然、現れて、星の王子様と一緒に、ロンドンへ、飛び立ったのでありンした。そのまた十五年後、その星の王子様は、お腹がでちゃって、きのうは、いびきで、わたしゃ、なんか、よくねれなかったで。人の事を言うのは、やめませう。私だって、大分すだれ満月だし、ミストサウナなんか長居すると、もろすだれ満月になってしまい、こりゃやばいので、慌てて、ドライサウナへ走っていくのでした。

ロサンゼルス

三十年前に、羅府新報という日本語新聞が、ロサンゼルスで発行されてて、リトルトーキョーの街角で売ってました。サイショウセブンという下宿屋、アルバイト先の美福、750ドルで買ったシェビイノバというポンコツ車、けどちゃんと動いた、車の保険の常石保険代理店、全部この新聞の告知欄で見つけた。活字が、明治か、大正時代の古臭い字体で、印刷もよくなかったけど、用は足りた。サイショウセブンという下宿屋は、ダウンタウン近くの殺風景なエリアにあって、朝、夜ついて、トイレシャワー共同で、月400ドルぐらいだったかなあ。恵美子さんという日系二世の明るいおばさんが経営していた。住人は、日系のおじさんが多く、夜勤の郵便局員さんとか、退職した設計技師とか。なんで、下宿屋にいるのかは、聞けるほど、親しくない。あとは、私みたいな、風来坊。南米に宝石を一発当てに行く奴とか、毎朝、お経をあげる学生とか。安普請の部屋なので、早朝、お経をあげる声が、響きわたり、まいった。恵美子さんの旦那は、二世だけど、日本語全然話さず。食事は、おいしかった。硬いけど、ローストビーフとか、好きなだけ、切る。サイショウセブンには、三か月くらい、いたんだべか。そして、前号で述べた、クラスメイトのルーマニアのおばさんが管理人をしているアパートの空き部屋に、同じくクラスメートの台湾系のジュデイ(中国人のおばはん)とフラットシェアしようと決めて、移りました。家賃は、月六百ドルで、ジュデイと折半の一人、三百ドル。2LDKで、各々、トイレ、シャワーあり。少なくとも、百平米は、あった。ただし、老朽。地下には、コインランドリーあり。
場所は、WESTERNより、一、二本西で、 WILLSHIREの北側なので、よくもないけど、治安悪くもない、よく言えば、ボヘミアン的なMARIPOSAという通りにありました。WILLSHIREの南にさがると、マックのカウンターが、西部劇の銀行みたく、鉄格子で、小さな窓から、お金と商品をやりとりするので、ひえー、なんじゃこりゃ、怖いと思った。相当、治安悪い。ダウンタウンの西も治安よくない。アメリカの町は、地域と通りによって、がらり、雰囲気変わるので、といっても、都会は、どこも、一緒か。真夜中、歌舞伎町の隅の奥の方へ、絶対行かないのといっしょですね。それにしても、当時、リトルトーキョーの周り、ダウンタウンは、最悪で、昼間っから、酒瓶ふらふらおじさんが、うろうろしてて、汚いし、。案の定、数年後、お店の富美子さんが、私もいつも停めていた駐車場で、流れ弾にあって、亡くなったそうでした。が、勿論、私は、毎週末は、ゲイバー、ゲイディスコ、ゲイサウナに遊びに行ってました。スパルタカスを見て、きょうは、ここ、来週は、あそこ。西のBREAかにあった、ラテン系のバーで、フラメンコ衣装を着た女装口パクショーが、おもしろかった。ショーチャージなんて、なくて、普通の値段のコロナビ-ルとか飲めばOKでした。パリにも、ピガールにミシュウというショーパブがあるけど、まだ行ってません。サウナは、シルバーレイクのスーパーマーケットの後ろにあった、中くらいな規模の店に、時折、出没。多分、数年後かわからんが、エイズのあおりで、閉じたんだと思う。毎日、午前中は、例の長い名前のスチュワーデス学校で、機内の通路を歩く練習、本当にやったんです。勿論、3レターCITYCODE とか、セーバー、アポロといった航空会社の予約システムの簡単な、操作の仕方とかも、お勉強?。いったん、うちへ帰って、お昼食べて、二時から、リトル東京、ウエラコートのお土産屋で、ゴルフ売り場、倉庫兼用心棒のアルバイト。お店の話は、以前、「ロサンゼルス リトルトーキョー 1987年」という題名で既に記事にしてます。
閉店後、例のポンコツ シェビイノバで、スーパーマーケット RALPHSで お買い物して、帰宅。ちょっといいスーパーマーケットで、ここでのお買い物は、すごく楽しかった。この時分、バーコードはなく、レジで、値段は、全部手打ちで、レジのかっこいい、少しニキビのお兄さんの打ち込みをいつも感心して、眺めてました。お姉さん、おばさんの列には、並ばなかった。で、夕食後は、テレビ。
PERFECT STRANGER------ COMEDY, THIRTY SOMETHING------VANCOUBER舞台の、ドラマ
MERLOSE STREET -------- 流行というか、実際は、ボヘミアンなメルローズストリート舞台の青春ドラマ、フレンズのロス版か
JUDGE JUDY ------ 近所の揉め事、恋人との揉め事とかの、簡易裁判中継物というか、JUDY判事が、魔法使いに見えて仕方ないのですが、いかが?。ロンドンでも、再放送をよく見た、人気番組。で、このおばさん判事、すごく稼いでいて、ギャラの年棒が、全米の芸能人二十位以内に、相当期間、名を連ねていた。彼女が、判決下す金額は、「はい、あんたが、元彼女に借りた二千ドル、すぐ返しなさい」とか、「はい、二百ドル、あんたの犬がお隣に迷惑かけたんだから、罰金二百ドル」てな具合。メルローズストリートは、NHKの深夜番組か、どこかで、放映されたのではないかな。THIRTY SOMETHINGは、風光明媚だけど、雨が多いバンクーバー舞台に、カッコイイ三十代の男女が繰り広げる、なんたらかんたらで、画面がいつもきれいで、話が深刻でも、深刻さないのが、よかったので、いつも感心しつつも、あこがれて、見てた。週末、酒場で知り合った男を引っ張り込んだら、ルームメートのジュデイおばはんも、負けじと、ぼちゃっとした、中国人の男の子を引っ張り込んだので、私は、開いた口がふさがらなかった。なんなんだ?このおばはんは?、
私と張り合うために、自分より相当若いけど、でぶの男の子を、なんでー?あほちゃうか。多分、少し、お金渡してたんちゃうか。

サンディエゴーNYC-ロサンゼルス

サンディエゴは、メキシコとの国境が近い町なので、タコス、ブリトス、エンチラーダ、コロナビール、フローズンマルガリータ、トルティーヤ、チキンのエルポヨロコ、五月のお祭り、シンコデマイヨ、サルサ、ETC 食べ物は勿論、メキシコの影響が大きい。私の好きな、ブリトスとは、豆をつぶして、ひき肉とか混ぜて、トルティーヤ、トウモロコシ粉の皮で包んだもの、、、で正解かな?あと、サルサ祭りをみかけ、のぞいたことがあった。トマトと唐辛子をきざんだデイップソースの自慢というか、誰のが一番おいしいか競う集まりで、なんかたいしたことなく、すぐ、退散。ゲイエリアのピーコックエリアとかのゲイバーに出かけ、ドラッグパーテイに誘われ、装甲車みたいな車から、信号停止中に、さっと飛び降りて逃げ帰ったことがあった。やば。
イタリア人の、ジャーナリスト志望のパオロは、ニューヨークのESLから、サンデイエゴのESLに転校してきた。NYCのELSの先生は、すごくよかった、よかったというので、彼の言葉を信じて、NYCに転校することにした。NYCには、JFKとラガーディヤと二つの空港があるのだけど、どちらについたのか、全然記憶なし。その当時、三十四丁目にあった、YMCAに二晩泊まった。一泊二十五ドル、トイレ、シャワー共同。シャワーは、ついたてもなにもない、オープンシャワーで、ぎくり。誰もいない時にさっと。近くに、テイクアウトの中華総菜やが、二軒ならんで、競争してて、安くて、旨くて、熱くて、愛想よくて、最高。三、四人の売子のおばさんに、これとあれと白いご飯下さいと注文して、部屋で食べる。お部屋は、マンハッタンのど真ん中で、二十五ドルだから、狭くて、たんすのなかには、ゴキちゃんがはいずりまわって、なんか、ムショに入った感じでした。十一月にはいり、暖房がラジエターで、カーン、カーンと音を立てて、イヤー、侘しい。けれど、空港から、リムジンバスで、ダウンタウンへはいったら、都会の喧騒につつまれて、ほっとしたのも、覚えてる。サンデイエゴは、毎日が、バカンスで、二か月も、慣れない、初めての陽気な毎日に飽きてたのかもしれない。
さて、NYCのELSは、スタッテン島のワグナーカレッジに間借りしてた。マンハッタンの南端からフェリーで、二十分くらいで、二十五セントだったとおもう。サンディエゴ ELSは、大きかったが、ここは、小規模のELSで、尚且つ、宿舎は、ワグナー大学の学生寮を間借り、食事は、学生食堂で、大学生達と一緒。差別は、一切ないけど、これから、英語を磨いて、大学にはいろうとする若者には、いい。私にゃ、何か、つまらん。来てみないと、わからんもんだ。学生食堂で、大学のアメリカンフットボールの選手がつるんで、食事に来てた。皆、顔は小さいのに、体は、牛の如くおおきくて、いつも、見とれてました。ひとり、タイプの子がいて、いいな、いいなと見てました。感謝祭、サンクスギヴィングデーには、殆どの学生は、お家に帰る。我らELSの生徒だけが、残る。食堂で、一人ずつ、紙袋を渡された。中身は、鳥のもも一本、リンゴ、チップス、それとチョコレートバーでした。週末は、クラスの子達と、マンハッタンに出かけた。一回、夜、島抜けして、ソーホーまで、一人で、夜遊び、サウナに行きました。おじいさんに手をひっぱられたけど、なんか全然タイプでなく、逃げた。しかし、三十年前の一コマ、よく覚えてるなあ。自慢ですが、私、じい様の、大学の先生タイプには、もてる。フェリーは、二十四時間運航。が、問題は、寮から波止場まで、バス?歩くと、大分あったと思う。島に缶詰。日に日に寒くなって、寮長さんに毛布をもう一枚借りたら、倉庫部屋に毛布が、山のようにあった。スーツケース一個で、冬着をもってきてない。西海岸に戻ることにして、祭日のフライトを予約したら、滅茶苦茶安くて、カウンターの子もびっくりしてた。この時、初めて、ラザーニヤを機内食でたべました。レンジで、チンするやつだけど、チーズがとろっとしてて、おいしかったー。チケットがいくらだったのかおぼえてないけど、満足の旅でした。東海岸から、西海岸で、四つの時間帯を超えて、ロサンゼルス、、トム ブラッドレー空港に到着。トム ブラッドレーは、当時の有名黒人市長さん。今、書類箱をひっくり返したら、NYCのELSの出席証明が出てきました。1986年、Staten island,new york,level 107とタイプされている。ELSは、101から 109まであるので、 107だから、まあまあ かなあ。ヨーロッパのまともな奴は、大体 するっと109にいっちゃうけど、私は、外専だけど、まあ こんなもんか。
サンタモニカのELSに、一か月行って、その後、ACADEMY PACIFFIC BUSINESS & TRAVEL COLLEGEに転校というか、入学しました。この長ったらしい名前の職業学校は、マーシャ何とかという ノースウエスト?のスチュワーデス第一期生が始めた、スチュワーデス養成専門学校。 カリフョルニアファーストバンクに口座開く。加州運転免許取得。とっくに期限切れですが。筆記は、日本語。十問か二十問 零点。ゼロ。なんかおかしいから、食いついたら、なんと回答を一問、ずらして、つきあわせてたので、正しくは、百点正解。
Social security card も取った。くじ引きの応募はしたけど、グリーンカードは、とれなかった。フランソワと一緒にロサンゼルスに住みたい。当時、クラスメイトで、尚且つ、私のアパートの管理人の、ルーマニアから、チャウシェスクから逃げてきたおばはんが、私にいうには、アタリヤをやって、保険金をふんだくって、グリーンカード取得の元手にするなどと、恐ろしいことを本気で言ってた。私も、少しだけ、やってみようかなどと、いや、痛そうだから、やめとこう。彼女の旦那は、バシレといって、ペンキ塗り。彼女は、結構美人で、学校の英語科のアミールという元イラン大学の英文学教授、今は、しがない英語の先生にぞっこんでした。パーレビ王朝崩壊で、アメリカに逃げて来たんだね。   続く じゃ

勇気と想像力、そして少しのお金

が、人生において必要だと、いったのは、チャールズ チャップリンだそうです。
もう少し、多めにお金があったほうがいいとは、欲張りな、私です。
当初、夏のボーナスも含めて、百万円位かを用意して、親には、黙って、アメリカに出奔したのが、二十九才の時。当時、両親は、公務員定年後、天下りでなく、中下りで、二つも仕事を変わって、地方勤務で忙がしくしてたので、東京の家にいなかったので、これ幸いと、七年半勤めた、一応、一部上場の会社を辞めた。支店採用だったし、学歴も並みだし、定年まで勤めた係長が、退職金四百万だったと聞いて、がっかりした。実際、その時、貰った退職金は、勤続七年半で、十三万何某でした。なんか、計算間違いか、ゼロがひとつ抜けてるのではないかと思った。課長は、カナダの支店から戻った国際派の人だったので、辞めたいといったら、あっさりOKでした。この課長とその前の課長には、いい評価をもっらてたみたいで、退職手続き時、人事課長から、こんだけ評価のいいのが辞めるのは、珍しいとかで、話をきかれた。同期の奴にちょっかいだしたこともあったけど、一回だけ、百人もいる大所帯で、私の担当した顧客の売り上げが、ナンバーワンに躍り出た。いつもは、総合商社なんですが、その当時、バブルで、私の顧客は、期末に、仕入れておかないと、来期の予算を確保するための、駆け込み輸入もあって、私の売り上げが、その月だけ、はねあがった。私は、一人でその顧客を担当してたから、滅茶苦茶忙しかった。お仕事で、一番充実していた時でした。大体、急ぎの貨物は、週末に到着するので、週明け月曜日朝一から、てんてこ舞い。週末は、二丁目にでなくちゃならないし、土曜日は、当然夜更かしとなるので、日曜日は、早く寝る。これが、全然寝れない。目が、さえる。それで、月曜日の朝は、起きれなくて、地獄。そんな生活を四、五年続けたので、ちょっと、お休みタイムが必要だったのと、バブルも終わって、仕事も減ったので、パっと辞めたのでした。
辞める際の失敗は、学生ビザがおりたので辞めたいと言ってしまったこと。これは、就業中に仕事以外の個人の用足しをしたことを疑われ、就業規則違反を問われた。一身上の都合を押しとうすべし。たとえば、母親をがんにしたてるとか。ほんとうに、母親をがんにしちゃって、よその外銀に転職した話とか、実家が燃えちゃった話とか、そういう理由にするのがいいみたい。
シンガポール航空の片道チケットで、ロサンゼルス経由でサンディエゴに到着。
マックで、オレンジジュースの発音が全然通じないのと、デニーズで、つり銭胡麻化されたのには、まいったので、いまでも、覚えている。ESL Langage school 近くの下宿ホテルに二か月いて、すぐ、年の近い仲良しグループができた。何故か、イタリア人のジャーナリスト志望のパオロとイタリアIBMに勤めてた奴とは、仲良くなった。あと、クエートとサウジアラビアの人がわんさかいたんですが、彼らは、大体、同じ国でつるんでる。日本人の男の子、女の子、結構いたんだけど、皆学生で、年代が違い、結局、若い日本人の子とは、誰とも話をしなかった感じ。最初のクラスには、インドネシア、フランス、ドイツ、ブラジル、サウジ、そして、日本。
その最初のクラスの先生は、いまだに、はっきりおぼえている。まさに、相良直美そっくりの雰囲気で、絶対、スカートは、はかない。パンタロンで、上下と靴の色が一緒で、毎日色違いで、登場、緑一色、ピンク一色、ホワイト、赤、、、。何にも答えられない日本人の男の子がいて、いつも、十分ぐらいか、もっとの時も、先生は、その子をいじくってた。
宿で、大びんが五ドルぐらいで、ガロという名の一番安いのと、皆で出し合って、二十五ドルぐらいで、畳半畳ほどもあるピザを取って食べたんですが、五、六人で結局食べきれなかったこともあった。    
ある晩、夜、宿を抜け出して、港外れの、WCPCというゲイディスコに、一人で、遊びに行った。バルボアパークの上がったところが、ゲイエリアなのですが、そことは、全然違う、海岸エリア。バスルートは、下調べはしたものの、バスデイーポから乗って、だんだんほとんどの人がおりていくし、真っ暗で外は見えないし、不安で一杯でしたが、たどり着いた。三十年前じゃ。携帯だってまだない時代。
バスから、番地を見ていったんだ。番地が、千番台。よく迷わず行けたもんだ。週中水曜日で、女装コンテストで客集め。バーバラストライザンドとかの口パクものまね。曲は、エビータがかかり、黒ミンクの豪華コートに黒ハイヒールで登場。曲が、ハイテンポになると、ミンクをぬぐと、黒いブラジャー、パンティ‐、ガーターで、皆、歓声をあげて、大笑い。今思うと、これが、どうも、私の転換ポイント、おかしなゲイの楽しみというか、解放感を感じた瞬間かもしれない。勿論、女装趣味はないけどね。
真夜中、閉店後、親切そうな人が、送ろうかといってくれたような気がするけど、運よく、タクシーがいたので、飛び乗って帰った。
                                          -------続く-----

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村岡 秀俊

Author:村岡 秀俊
のどが少し痛いけど、そんなのふっとばして、生きてゆこう

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