W杯フランス優勝 毎日関連ニュース

優勝して、翌日、歯医者の予約があったので、地下鉄の一号線の CHAMPS ELYSEES CLEMENCEAU の駅名が DIDIER DESCHAMPS監督のDESをくっつけて、 DESCHAMPS ELYSEES CLEMENCEAUに 一日だけ、名称変更してあり、電車の中から、大勢が携帯で写真を撮ってました。ホームでも。駅名の看板に、簡易粘着シートをはったみたいでした。
私の歯医者さんは、VICTOR HUGO駅にあるので、大活躍したゴールキーパーの HUGO LLORISにちなんで、 VICTOR HUGO LLORISに名称変更。私は、一瞬、降りる駅を間違ったかと思い、ビックリしましたが、すぐ、あ、そうだと思いだしました。私は、なかなか、フランス人の名前が、すっと覚えられなくて。ましては、今回の優勝メンバー二十三人のうち、移民系がなんと、十五人だそうで、少し、紹介しますが、優勝写真カバーの雑誌を三冊、買い込みました。

背番号 10番、十九才 KYLIAN MBAPPE   個人で準優秀選手の銀のサッカーボールのトロフィーを獲得。彼のおじいさんだかは、カメルーン出身で、お父さんは、サッカー関係者でお母さんは、ハンドボールの選手だったそうです。スポーツ一家ですね。KYLIANNが、十三才のときのランニングマシーンでの写真がでてました。苗字、なんてよむんだべか? ムばっぷ?

RAPHAEL VARANE お父さんの出身は、マルティニック諸島(フランスのカリブ海の海外県)。この人が、私は、一番かっこいいと思う、といいうか、タイプです。鈴木阿久里に似てると思うんだけど。

N'GOLO KANTE 彼の家族は、MALIENNE出身とあり、そうか、マリ共和国ですね。たしか、んごろ んごろという、岩合光昭さんの写真で有名になった、草原、動物のパラダイスがありましたよね。小柄だけど、活躍した人。

PAUL POGBA 彼のご両親の出身は、GUINEENSとあるので、赤道ギニアかなあ。試合中は、なんか、いつも、怒って、主張している場面がおおいような、クロアチアのフォワードとボールの取り合い、相手のユニフォームのつかみ合いとか、怖いお兄さんだと思ったら、エリゼ宮での、祝賀会で、マクロン大統領が、監督にマイクを渡したところ、監督は、何と、この人に、マイクをわたしてしまいました。彼は、歌い始めました。チームのみんなも、歌いだした。なんと、私思うに、この人が、リラックスした雰囲気を作るひとだったんですね、きっと。モスクワに降り立った時、カメラが、うつしだしているのは、この人が、飛行機からおりて、出口へ向かうとき、歌って、手ぶり身振りで、彼につずくメンバーも、それに合わせて、緊張感なく、見ている方は、あっけにとられました。私のタイプじゃないけど。祝賀会は、完全に、この人が、仕切っていました。

SAMUEL UMTITI 彼は、カメルーンの首都YAOUNDE生まれだそうです。誰かに似ているのですが、おもいだせない。デンゼル ワシントンじゃなく、んんんんん       ここで、移民系終了

移民系でなく、OLIVIER GIROUD 三十一才、ゲイに多いタイプの顔だとおもうのですが、トンガった鼻に髭に タットゥー、いいな。私は、この手の顔の人にもてたこと、なしです。

最後に、ゴールキーパーの、HUGO LLORIS 、彼のお父さんは、モナコで仕事をする銀行員で、お母さんは、国際弁護士だそうで、彼のみ、中流の上の家庭出身だそうです。雑誌に、そう書いてあるし、職場でも、そういうことが、話題になってるみたい。

色とりどりで、これだけの背景を持った選手の混合チームをまとめあげて、優勝に導いた、 DESCHAMPS監督は、すごいとおもいます。私は、この優勝で、フランス社会は、徐々に、移民系も、活躍する場面に変わっていくと思うのですが、、、、
今日、おばさん二人に、熱く、訴えたのですが、苦笑いされてしまいました。おばさんは、サッカーファンではないし、




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パリの片肺、ヴァンセンヌの森

これは、イングランド南部のチャートウエルハウスの離れのチャーチルのアトリエ 本文とは、何の関係もありませんが。

昨夜は、ワールドカップの準決勝、フランス対ベルギー、冒頭、カメラは、貴賓室で、マクロン大統領が、ベルギー国王と王妃様に握手するのを映しました。王妃様に握手でいいのかしらん。プロトコール、よくわからん。
おもしろかったのですが、足を引っかけて、相手を倒す、相手のシャツを引っ張って、転ばせるのが、何が、反則で、ただ、体当たりは、いいのか、何かよくわかりません。主審が、見てなけりゃ、ええんかな。試合後、マクロン大統領をみたかったのですが、なしでした。夜、九時過ぎ、通りに面した窓を開けると、どこかで、歓声があがっていて、通るタクシーもクラクションをプぷぷぷとならしてました。今日の夜の イングランド対クロアチア戦は、さて、どうなるのでしょう。ウフフ ハハハ。

さて、 LE GENDARME DE SAINT-TROPEZ という 1964年の ドタバタコメディーをテレビでちらっとみました。ルイ ド フィネス 主演で、ミッシェル ガラブルも出ています。ガラブルは、昨年亡くなりましたが、映画のラ カージュ オウ フールで道徳党の副党首で最後 女装して新聞記者を巻こうとして、失敗した役を演じた喜劇役者さんです。この映画では、ガラブルが 警察署長で、ルイ ド フィネスと サントロぺの海岸に出没する ヌーディスト達を検挙しようとするドタバタです。この時代は、ヌーディストは、社会秩序を乱す存在。日本だと関税法第十七条で、下の毛、性器が写っているポルノ雑誌、写真等 輸入は、多分、未だにご法度のはずです。インターネットで、なんでもみれるのにね。で、チャンネル 変えて、この映画、最後までは、みませんでした。が、その日、気温が二十九度まで、あがったので、私は、バンセンヌの森へ、サンドイッチもって、お出かけしたのでした。バンセンヌ城があって、今は、中もみれますが、歴史と政府の古文書管理倉庫につかわれているそうです。森の入り口右には、内務省?の厩があって、臭い。城の反対は、軍のバラックがあり、あと、植物園、動物園もあります。運動競技場、テニスコートもあります。そんな 広大な森なので、ハッテン場があるのです、早い話、早くもないか。森の入り口から、800メートルのところ。昼は、天気のいい日は、日焼けサロン、夜は、コンドームが落ちてる。大体、自転車とか、車で、皆、くるみたい。私は、メトロで、一号線の終点、シャトーバンセンヌから、えっちらおっちら歩いて、んんんー、三十分弱かな。いつも、途中で、バナナを食べて。夏は、必ず、水を1リットルは、持っていかないと。一か所、水道蛇口もあるけど。小さな、ポリタンクで、頭から、水被る人、みました。
そこが、昨年は、試験的に、今年からは、市公認の ヌーディト エリアになったのです。フランス語で、ナチュリスト。フェンスがあるわけでもなく、誰でも通れる、ホンに狭い、ちっぽけな空間で、看板が三か所に立ってて、とうりすがりの普通の人は、看板に見入ってます。看板立てて、ぐちゃぐちゃ説明しておかないと、フランス人は、こうるさいから、絶対、いちゃもんつける人が、わんさかでてくる。期間限定で、10月初旬まで。去年は、ほんの一か月位が、今年は、四か月位にのびました。見放題。ただ。土日は、混みあうし、幾分、物を大きくしている人は、これ見よがしに歩いている。デブの人は、小さかろうが、大きかろうが、皮冠っていようが、あるきまわる。千さマン別ですが、まあ、大きな人が多いようなきがします。私は、バスタオルひいて、物書きです。ペットボトルを凍らせたのを持っていき、頭を冷やして、溶けた水をちゅーちゅーのむ。 そういえば、前に、日焼けサロンのレポートしましたね。そうそう、ここは、ゲイの日焼けサロンという歴史から、私の見る限り、九割は、ゲイだと思う。女性は、ほとんど、いなく、テニスボール大のおっぱいにおちんこある人は、います。 二十代は、稀、三十代、ちらほらか、主流は、やはり、おじさん、おじいさん、いや、この人、ムンムンムラムラで来たんだという人もいないでもない。常連さんのグループもいてます。かっこいいおじさんは、います。昼頃には、騎馬警官が 三頭位、巡邏に通ります。一回、昼前、公認エリアから離れた、茂み地帯で、騎馬警官とばったり、鉢合わせして、逃げる暇もなく、「ムッシュー、道に迷ったのですか、何か探し物ですか?ここは、危ない所だし、いまは、小鳥さんしかいませんよー」とか声かけられて、びっくり。野草とかキノコを熱心に探す人もみかけますが、なんといっても、夜は、ハッテン場。サバ、メルシーとかなんとかごまかして、逃げました。にげるというか、立ち去りました。馬は、近くで見ると、やはり、でかい。威圧感あり。森の入り口から、日焼けサロン迄、お馬さんの通る砂道に、馬糞が一杯落ちてます。

パリは夏のバカンス突入

  英国グラインドボーンオペラの芝生

出版界の革命児、幻冬舎。
いまは、亡きパリのブックオフ(フランス語の古本のほうの店の片隅に、ちょびっと日本語の古本があるのをみつけはしましたが)で、幻冬舎刊郷ひろみの「ダディ」がいつも並んでて、一冊二ユーロでも、買う気にならなかったけど。しかし、幻冬舎文庫と幻冬舎アウトロー文庫は、つまみ食いしました。それと、自分の今、書いている「秀ちゃん、二丁目になんて、行っちゃいけません」のあらすじを出版大手四社に送ったら、幻冬舎からのみ、却下の連絡がきました。後の、三社には、当然の如く、無視されました。

幻冬舎の社長、見城氏と作家林真理子氏の、十六年にわたる絶交の後、交友再開の話が、すごくおかしくて、いろいろ、他の本も読んでいくうちに、幻冬舎刊、百万部を超える大ベストセラー、ワールドカップ日本チーム主将、長谷部誠著 心を整える に行きあたり、早速、お取り寄せして、読んだところ、結構、読ませるのにびっくりしました。現在、ドイツのチームで、プレイしていて、奥さんと子供さんが、いますのね。で、ドイツ語は、六か月でマスターしたとあったので、ウソ、マジ? ホントかよ、と思って、ユーチューブで、彼がドイツの記者にドイツ語で、試合後のインタビューをみて、インタビュアーが、彼の答えも取り仕切ってるので、安心しました。私は、言いたくないけど、2009年にパリに来て、アリアンセフランセ、AAA語学学校、,天理フランス語、J-COM,、アレジアと通いに通って、アリアンセフランセなんて、家から目と鼻の先なので、三回も出たり入ったりしても、私のおフランス語は、駒たれ部に毛の生えた程度です。が、パリに来て、十年目に突入してしまい、鬱にもならず、しーだにもならず、生きてこれたのは、フランソワのおかげなので、感謝しております。   何を、かいてたんだっけ?
そう、誠様のファン、不純同姓ファンになったのです。外地で、ドイツ、中近東、東ヨーロッパの選手にいろいろもまれて、サッカー選手として、一線で、活躍するコツを書いてくれたのです。自分が、うなずけることがほとんどでしたし、教わったことも、ありました。時差ボケ解消に、日本に出発する一週間前から、夕食のじかんを、一時間ずつ早めて、日本に到着後、時差ボケなく、すぐ試合に出られるようにするとか。まずは、普段、いつも、体調を最高のコンディションにしておくには、睡眠、食事のバランス、等に気を配り、後、常に幸せを感じるように、工夫するとか、いろいろ。難しいことは、ないようです。

さて、六月後半、私とフランソワは、毎年恒例の、イギリスの郊外オペラのはしごをしました。その間に、ワールドカップがはじまり、パリに帰ってきてから、7月2日日本-ベルギー戦を夜、見て、なんと、日本が、背番号17番の誠様が出てる日本が、2ゴール、先取したので、生まれて初めて、テレビの前で、一人で、叫んでしまいました。フランソワは、別の部屋で、別の番組をみてました。サッカーなんて、これっぽっちも興味なかったのにね。高校の体育の授業でサッカーの試合を隣のクラスとやり、私は、ゴールキーパーじゃあないのに、味方のゴールの前で、ボールを手で、つかんでしまい、PKで?一点入れられた、悪夢。皆から、白い目で見られて、、、、

7/6 金曜日のフランスとウルグアイも少しみまして、ウルグアイの選手が、もう勝ち目がなくなり、泣きながら、それでも、走っているのをカメラが捉えたとき、その後、観客席のウルグアイ応援席の小さな男の子が、遂に泣き出したのを望遠カメラが映し出した時、私も涙がでそうになりました。もらい泣き。こんなに感動するなんて、おもってもみなかった。勝ったフランスの次の対戦は、7/11火曜日に、対ベルギー戦、マクロン大統領が、突如、応援に行くと言い出したそうです。

誠様と西野監督は、退任宣言しちゃったけど。

DSCN0293.jpgオペラの合間に行ったウインストンチャーチルのお屋敷 チャートウェル の ダイニングルーム

今週金曜日から、家の前の通りは、駐車がすくなくなり、あれー、七月の頭なのに、もう 皆、バカンスかいなあ、フランス人て、いつべんきょうして、いつ働くんかいなあ、自分の事は、勿論 棚にあげてですが。

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緊急ニュース、ローランギャロス大会で、ボーイズラブ?



昨日のローランギャロスでの、ハプニング

Dzhumur選手と ボールボーイの男の子が 高くあがったボールをとろうとして、お互い空を向いていたので、鉢合わせして、男の子は、一瞬気を失って、コートに倒れてしまいました。選手が抱き起して、
「大丈夫?」 と声をかけて、 男の子は「大丈ぶだよ」と答え、 会場の観客は、大拍手でした。
勿論、選手は、男の子にビズー、男の子の頭にチュをしました。

このハプニングは、さっそく 夜八時のTF2のニュースで、二度も放送され、その後の九時前のコマーシャルの間にも、どういう訳か放送されましたのね。

何か、エロティックな 場面で、私も、コートに倒れて、イケメンの若いテニスコーチに抱き起されて、ディープキスしたいのですが、
多分、 私が倒れても、もしかして、誰も起こしてくれないか。

うさぎ追いし 故郷

 ミルフォイユ カスタードクリームをパイではさんだ私の好きなお菓子
写真を撮る前に、食べてしまいましたの。
あーーー、国へ帰りたーい。国さ、帰っても、仕事ないし、野毛で、酒場やるっちゅうても、誰も、こんだろうし。。。。むつかしいべ。。。
月曜日、歯を抜いた所を、インプラントいれるので、がりがりやられて、少しだけど、痛かですたい。痛み止め、鎮痛剤は、たくさんあるのですが、なるべくがまん。上二本は、昨年十一月に抜いて、骨が落ち着くのを待ってて、やっと一か所だけ、インプラント、要するに、ねじをギリギリ、うめこんだのでした。もう一か所は、九月なんだと。その二か所は、お隣さん同士なんです。さらに、一か月前に、急に、下の奥歯の歯茎がはれてしまいました。二十年位前に、銀冠被せてあるやつ。腫れは、アンチビオ、抗生物質で抑えたけど、再来週、これを抜く予定で、それもあって、なんか、国へ帰りたくなったのでしょうと思います。歯医者さんの麻酔は、大したことないと歯医者さんはいうけど、口中の、上にちくりと刺すやつ、痛ェでごぜえます。再来週前に、とんずらしたい。抜いた後、少なくとも、三日間は、痛み止め飲んでも、痛いし、腫れるし、やだ、やだ。そう、人は、病気になると、年をとると、生まれ故郷に帰りたくなるのですね。なので、国さ、帰りてえと思ったわけです。私の歯医者様は、なんか、すぐ抜いて、インプラント入れたがるような気がしないでもない。できるだけ、自分の歯を保ちたいのですが、、、、。
「TAKE ME HOME,COUNTRY ROADS」 ジョン デンバー、自家用飛行機事故で亡くなってしまった。この歌は、生まれ故郷への郷愁をさそう名曲で、胸ジーンをなります。が、彼自身は、奥さんに頭に来て、チェーンソーで、ベッドを真っ二つにしちゃった、サイコだったとあったので、びっくりしました。すげえ。その点、西城秀樹は、皆、口を揃えて、彼は、いつも、すごくやさしかったといってるので、男らしい、いい性格の人だったのですね。出棺のとき、往年のファンが、「、ヒデキ、ありがとう、」と叫んでいたので、私も、つい、涙がでそうになりました。私が思うに、スキャンダルは、あったけど、彼の人柄で、大ごとにならなかったのでしょうね。
ばくぜんとは、生まれは、東京で、育ちは、七才ー十三才まで、鹿児島、そして、神奈川、そして、東京に舞い戻りました。ゲイとして、目覚めたのは、サンフランシスコとロサンゼルスなので、ロサンゼルスに帰りターーーいな。グリーンカード、とれそうもないから、無理ですが。昔昔、グリーンカードの抽選に応募したこともあったなあ。
そして、私が、外専だと、強く意識したのは、なんと、このブログを始めて、ブログ村で、他のひとのブログを覗くようになってからなのです。全く。それまでは、パートナーが、外人なのは、たまたま、偶然だと、漠然と思ってたというか、あまり考えてなかったのでした。よくよく、ふりかえると、まがりなりにも、つきあったのは、ぜーんぶ、外人だったので、そうなんだと思いました。外専という言葉の響きって、何か、あまり、よくないなあ。
今日の朝日新聞に、私もかつて一時期凝った、経済評論家の勝間和代さんが、パートナーが女性の方だと、言われたそうで、驚きました。




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村岡 秀俊

Author:村岡 秀俊
のどが少し痛いけど、そんなのふっとばして、生きてゆこう

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